資源もイメージも有限であるということ
正直なところあまり名古屋(愛知)系の食べ物を得意としない私です。
その理由と見解を語り出すとエスカレートしそうなので、愛知地方の人間関係上あえて触れませんが、とにかく総じてニガテなのです。
しかし“手羽先揚げ”と“天むす”は好きなんです。
【名古屋とか愛知ではなく、全国物産展みたいなイベントで売っていたらしい“天むす”。全国だっていうのなら、もう何でもありって感じですね。】
写真の“天むす”は近所のデパートの物産展で売られていた、有名店の物らしいのですが、やはりお店のレベルとは違うのか、特に美味しいとは感じませんでした。
デパートで開催される物産展、本当に多いですね。
北海道のそれなんて、甲府でも異なるデパートで1週間おきくらいの間隔で開催されています。
物産展にもイロイロな系列があるのでしょうけれど、これだけ乱立開催するとさすがに顧客も飽きてしまうでしょう。
だいたい“全国物産展”なんていったら、会場となっているデパート自身が自己否定に近いことをしている気がします。
特に安い訳でもないのに、物産展なるものに人が群がるその理由がイマイチ理解できません。
そんなに売っている物が魅力的なのですかね?
疑似体験的な要素もあるのかも知れませんが、だとしたら飽きられたら一巻の終わりというか、冠している地域のイメージにも影響を及ぼすことになるでしょう。
バブルの頃、三菱自動車が時のブームに載って“フルターボラインナップ”なる志無き戦略を立てて、それが引き金となりターボエンジンのイメージが落ちたと、20年くらい前に徳大寺有恒だか誰かが言っていたけれど、確かにそういった側面はあったと思います。
いま目の前に存在している資源にしがみ付き依存する心理は解りますが、一方的に依存するだけではジリ貧です。
調子が良い時であるからこそ、次の一手を考えて仕込んでゆく…。
そういうことが大切なのでしょうね。
でもまぁ私はそんなに調子良い訳では無いのですが、それでも明日のために仕込みは頑張ってします。